こんにちわ
RAD FLAG GALLERYデザイナーAです。
本日は以前、ブログに書いたデザイナー亀倉雄策さんがはじめてデザインの仕事をした雑誌「NIPPON」の作成者、名取洋之助のお話です。
ドイツで青春時代を過ごした名取洋之助さんは、グラフ誌への写真寄稿をきっかけに報道写真家となって活躍します。
芸術ではなく、コミュニケーション手段としての写真やグラフィックデザインの社会性を実感した彼は、1933年(昭和8)に我が国で初めて報道写真を標榜する作成集団「日本工房(のち国際報道工芸、国際報道と改組)」を設立。
木村伊兵衛、土門拳、原弘、山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策など若き写真家やデザイナーが参画して、
欧米への写真配信や清新なデザインで写真をまとめた対外日本文化紹介グラフ誌『NIPPON』の刊行などに邁進しました。
日中戦争から太平洋戦争までと重なる中で、戦時体制に組み込まれながら理想の実現に奮闘した名取たちの仕事は、日本の写真・デザイン界の源流となったのです。
終戦後の名取は、日本の『LIFE』を目指す『週刊サンニュース』や、1950年代の出版界に新風を巻き起こした『岩波写真文庫』の編集に携わりました。
三木淳、稲村隆正、岡部冬彦ら戦後世代の若き写真家やデザイナーたちが仕事を通じて鍛えられ、編集現場は「名取学校」とも呼ばれました。
以下名取洋之助(1910-1962)作品数点
写真家として、また、プロデューサーとして、報道写真に生涯を捧げた名取洋之助さんは日本のデザインの産みの親といっても過言ではないのではないでしょうか。
構図、配色等に限らず、なにか新しいものを生み出すという行為そのものが
デザインひいては芸術というものなのかもしれません。
そこに決まりはないわけですから
- 名取洋之助と日本工房(1931‐45)/岩波書店
- ¥3,150
- Amazon.co.jp